西部地区 2001・B-P祭を開催
(西部・・宇部・小野田・山陽・美祢
地区所属団合同行事)
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2001年2月4日 (
山陽町
寝太郎公園内の厚狭小学校体育館

 

 

 ボーイスカウトの創始者、イギリスのベーデンパウエルを卿をたたえる県西部地区のBP祭が4日、山陽町の厚狭小や寝太郎公園などで行われた。約200人が参加。地図の解読、地形点調べ、手旗信号などの日ごろの訓練成果を実践。ハイキング、ゲーム、宝さがし、クイズ、ぞうりづくりなどを行い、有意義で楽しい一日を過ごした。 ・・・(途中省略)・・・

 この日は、山陽町をはじめ、宇部市、小野田市、美祢市などから約200人が参加した。厚狭小での開会式では、大谷西部地区協議会長と森西部地区委員長が参加者を激励した。来賓を代表して伊藤県議が祝辞を述べた。
 その後、ビーバー隊、カブ隊、ボーイ隊ごとに、厚狭小や寝太郎公園など町内一帯で、地図の解読、地形点調べ、手旗信号、ハイキング、ゲーム、大なわとび、宝探し、わらじつくり、クイズ、報告書の作成などを繰り広げ、楽しそうだった。

(2001年2月7日発行:宇部時報 の記事より引用)

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西部地区 2001年B-P祭 日程表

時間 ビーバースカウトぶもん カブスカウト部門 ボーイスカウト部門
 8:30 受付開始
 9:00

開会セレモニー

 9:15

 

各隊ごとに集合
全体ゲーム

ハイキング指示書の課題をクリアーしながら行動

 9:30

わらじの公園:ゲーム

 

わらじの公園:出発
 9:45 千石船の公園
 ビン吊りゲーム

10:10

千石船の公園
 大縄跳び・千石船探索
桶の公園:各種ゲーム
10:50 桶の公園
  水抜きリレーに挑戦
砂金の公園
 通行手形にチャレンジ
11:30 砂金の公園
  宝さがしなどのゲーム
12:00

ゆめ広場 : 評価・表彰
昼 食 (うどん)

13:30

行事終了・解散

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ボーイスカウト部門・出発前の指示書確認中→

指示書には次のように書かれています。
座標033,039をA地点とし
・A地点から、253度の方向、直距離100mの地点をB地点
・A地点から、326度の方向、直距離100mの地点をC地点
・A地点から、326度の方向、直距離200mの地点をD地点
・A地点から、253度の方向、直距離800mの地点をF地点
・A地点から、18度の方向、直距離1300mの地点であり
 F地点から、39度の方向、直距離1300mの地点をG地点
 とします。...まず、地図上に各地点を記入します。

※ 上の指示書のうち、G地点の場所が少しばかり、あやふやですが・・・まっ、いいっか・・。

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悪代官となにやらやっています。
後ろには心配そうな、お母さんが・・

右のポケットに、チラリと見える白い
カードみたいな物が
左の「通行手形」です。・・・??

「通行手形」にひもが付いてるってことは、首に掛けて、なくさないようにって隊長さんたちの 心使いのはずなんですが・・スカウト・・我 介せず。

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(左の写真)
わらじを作っている。
自分で作ったわらじを履いて、以後のメニューを消化せよ! な〜んて指示があったら、面白いだろうな。 スカウト 慌てたりして・・
(右の写真)
大きな 「小槌」だこと。
きっと、はかどるんでしょうね?

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寒い時の「うどん」って美味しいんです。これが目的で参加したんじゃないんですが・・・
しかし・・本当に美味しそうに食べてますね。

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優秀章の授与などがあって無事終了しました

B-P祭終了時には参加スカウトへのお土産が、どっさりと山のように準備されていました。

どれもリーダー達 手作りのオリジナル製品なんです。
出来映えも抜群ですが、とにかく芸が細かいだけに、時間だけは、素晴らしくかかりましたとさ・・・。

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 【 番外編 】 山口県厚狭地方に伝わる『三年寝太郎』の話
 長門の国、下関から東へ四里、厚狭の里に寝太郎という庄屋の息子がいた。ある年、里が大飢饉に襲われて百姓は苦しんでいた。すると三年と三月も眠り続けていた寝太郎がすっくと起き上がり、里の衆に何百、何千というわらじを作らせたんだとさ。
 わらじを千石船に積んだ寝太郎は、厚狭川を下って佐渡島へと船出した。そのころ佐渡の金山はたいへんな繁盛だった。佐渡に着くなり、寝太郎は、持ってきた新しいわらじと、金掘り衆の履いていた古いわらじをただで交換した。寝太郎はその古いわらじを船に積んで、また厚狭の里に帰ってきた。厚狭を船出して、五・八の四十日経った日の明け方であったとさ。
 そして寝太郎は桶屋に頼んで大きな桶を作らせ、その中でせっせと古いわらじを洗うと、桶の底に砂金が光っていた。砂金の山で寝太郎は大金持ちになったとさ。
 島から持ち出すことを禁じられている佐渡の土をどうやって持ち出すか、寝太郎は寝たまま、三年と三月も考えたのである。
 大金を手にした寝太郎は里の衆に呼びかけ、荒地に水路を通して開墾した。こうして長雨や日照りの年にも里の稲はよく実るようになり、厚狭の里はたいへん栄えたということである。

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